週刊わやソング2001.2.2号(21世紀第5号)  前号へ   次号へ  バックナンバーへ

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

「心にはユートピア」      1989.4     MP3で聴けます

耳を疑うような犯罪や あまりにも身勝手な人達に
心を傷める毎日 だけど 絶望はしない
  いつか出会ったあの人は とても大きな人だった
  また会えるだろうあの人は 夢を語ってくれるだろう
    信じられる人が居て 集まれる広場があって
    風に乗せて 声を限りに 歌を歌えば
        いつも心にはユートビア
        晴れわたった空に うたごえが満ちている
        いつも心にはユートピア 流した汗は むくわれる

滅ぼされつつある生物(いきもの)や あまりにも無神経な開発に
心を傷める毎日 だけど 絶望はしない
  いつか歩いたあの森は とても静かな森だった
  また行けるだろうあの森は 優しく包んでくれるだろう
   帰れるところがあって 待っている人が居て
   旅の話を持ち寄って ひとときを過ごせば
     いつも心にはユートピア
     青く透明な海に 生命(いのち)が満ちている
     いつも心にはユートピア 流した汗は むくわれる

     いつも心にはユートビア
     緑あふれる大地に 人の暮らしがある
     いつも心にはユートピア 流した汗は むくわれる
                 流した汗は むくわれる



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 10年以上前に作った歌だが、残念ながら今でも心を痛めるニュースには事欠かない。

それが現実ではあるが、ボク自身は、親しく人と集うとき、自然の中でくつろぐとき、ユートピアに居る喜びを感じることができる。そして、自分から進んで身体を動かして汗をかけば、いつだって爽快な気分になれる。しかも、誰だってそうだ、そう信じているから、絶望していないのである。

 そもそもユートピアって何だって問われるかもしれない。ここでは、心を傷めずに済む世界・ストレスのない世界、とでもしておこうか。んー何か足りないな。そう、わくわくする気持ち。それが欲しい。

 というわけで、歌としては歌詞の通りで良いのだ。

 でも雑文ではつい色々と考えてしまう。

 ボクの家のある地域は、ほんの20年前までは雑木林が広がる山だったそうだ。昨年度は息子の通う小学校の創立10周年とのことで、秋に記念行事があって、当時の写真を見る機会があった。現在の町並みからは想像のつかないほどの、まさに山だった。10年前でもまだ宅地造成されたばかりで、飛行機からは砂漠のように見えたのを覚えている。たった10年で市内で最大生徒数の校区になった。残された山はただ1箇所だけ。小さな池を抱える緑地だった。その緑地も東側は建設予定の大きな道路の予定地で直線的に削られている。地域の中央を流れる川はコンクリートで固められた排水溝だ。もうタヌキやイタチは住めなくなった。

 そんな土地だがボクは家を建て移り住んだ。公園が点在し、商店や病院も多い住み良い街である。まだ木は小さいが、川沿いの桜は春になれば花をつける。なくしたもののことは忘れないようにしたい。ときどき森に出かけていこう。息子を連れていこう。もちろんそれで良しとは思わないが、とにかく、ボクはここで生活していくのだ。

 心の中のユートピアは、実は、ただの自己満足なのです。

 余談ですが、以前フォークグループ「祭ん」(昨年「そろりん」に改名)のコンサートでこの曲をやったとき、お客さんに配る歌詞カードの「森」という字が全部「もりま」になっていたことがあった。「もりま」というのはメンバーの一人の呼び名なのだけど、ワープロで「森」を全文一括変換しちゃったわけね。おかげで、いざ歌おうとしたときは、笑いをこらえるので必死でした。
 ♪いつか歩いたあのもりまは とても静かなもりまだった  また行けるだろうあのもりまは・・・♪

 余談その2です。先日聞いた話ですが、同じ区内の小学校でタヌキが発見されたそうです。残念ながら車にはねられたか何かでお亡くなりになっていたらしいけど、まだ他に生きてるのもいるに違いない。ガンバレ!タヌキ達。

 余談その3です。かなり以前のこと、前述の緑地を走っていたら(ボクのランニングコースなのです)白いウサギを目撃しました。どこかから逃げたか、誰かが捨てたかだと思う。生存は難しいでしょう。息子に話したら「見たい見たい」と言っていたけど、ボクも1度きりなのでした。

inserted by FC2 system