週刊わやソング2001.9.1号(21世紀第32号)  前号へ  次号へ  バックナンバーへ

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「自転車と僕と」  1998.9 2005.10改   MP3で聞けます(歌詞は旧版)

始まりは幼稚園児の頃 最初に乗ったのは子供用自転車
しっかり補助輪が付いていた 走った記憶は遠くかすんでる
小学校1年生のとき サドルの取れた大人用を拾い
何度も転びながら練習して 三角乗りをマスターした
その後姉貴との共有ってことで ミニサイクルを買ってもらった
譲り合い使いなさいって言われたけど 奪い合って負けていた

僕は自転車を覚え自分の足にした 幼いなりに生きていた 育っていた

6年生になってどうしても 自分専用のが欲しくなった
新聞のチラシで安売りを見つけ20km離れた町で買って乗って帰った
学校対抗の自転車コンテストなぜか僕が代表に選ばれた
転校してきて馴染めてなかった僕を 先生が気遣ってくれたんだ
一本橋やクランクや手信号 実技の練習は楽しかった
ずいぶん練習して挑んだ本番は雨が降って筆記試験だけで終わった

僕は自転車に乗って いろんな技を覚えた 勉強した交通ルールは 原付免許で役立った

中学は自転車通学禁止だった みんな実はこっそり乗って行ってた
先生に聞かれて正直に答えたら 僕だけしかられて悔しかった
高校は通学用の自転車で 毎日遅刻坂を登った
片想いの女の子を追い抜くときは 力いっぱい立ちこぎでダッシュした
隣の県でインターハイがあった 悪友とバスケの試合を観に行った
一泊二日の旅はトラブル続き パンクの修理が上手になった

僕は自転車に乗って遠くまで走った 広がった世界を見ていた 感じていた

大学は故郷を離れ海を渡り名古屋の街に一人暮しを始めた
新しい町を探検気分で走った ケッタマシーンという呼び方を覚えた
先輩にスクーターをもらったのでとりあえず原付免許を取った
ギターケースをステップに載せて走った しばらくは自転車を忘れていた
暇に任せ一輪車を練習した 始めは全く乗れそうもなかった
やっとコツをつかんだときは嬉しかった 自転車に乗れたときを思い出した

僕は自転車に乗ってどこにでも行けた 走りながら歌を歌った 口笛を吹いた

同郷のサークルの後輩から キャンピング用の自転車を買った
寝袋と着替えを積んで野宿旅 ふくらはぎまで日焼けした
四国への帰省も自転車を使った フェリーにも渡し舟にも乗せた
朝のラッシュ時の国道2号線 車に当てられ一瞬時が止まった
顔にケガをして実家に逆戻り 自転車はやめろと親に言われたけど
愛車は修理して甦り その後も旅を供にした

僕は自転車でさらに遠くまで走った 走りながら思いをめぐらせた 夢を見ていた

会社に就職して嫌だったのは朝の満員の地下鉄での通勤 
一度自転車で行ったらやめられなくなった雨の日は例外だけれど
まだそんなに 流行ってはなかった頃マウンテンバイクに乗り始めた
通勤にキャンプにツーリングにヘルメットは必ず被るようにした
お買い物用にママチャリも持っていた 何度か盗まれたりもした
マウンテンバイクが盗まれたときは 悔しくてしばらく探しまわった

僕は自転車に乗って毎日生活していた 自転車に乗らない日はなかった 今よりずっと痩せていた

結婚したり住むところが変わったり子供ができたり勤め先を変わったり
乗っている自転車も変わったけど 変わらないのは緑色だってこと
2代目のマウンテンバイクも緑色 だけど買ったときは違う色だった
すぐに緑色に塗り替えた 世界にひとつだけの自転車になった
パーツを取り替えるタイミングで 何度か違う緑に塗りなおした
カタログを見て気にいった色を選んだ 色だけのビアンキもどきになってしまった

僕は自転車に乗ってレースに出たりもした 体力には自信があった 決して速くはなかったけど

どうして転んだのかはよく覚えていない 気がついたら地面にたたきつけられていた
帰宅途中の大きな交差点の手前 神に誓ってお酒は飲んでいなかった
学生時代の事故で怪我をした鼻の下 あのときはボクは交通事故の被害者だった
傷跡はケロイド状に残ってしまったけど 貰った慰謝料はとてもありがたかった
今回は仕事帰りだから労災になった なのでまた治療費は心配しなくてすんだ
なぜか前と同じところをケガした 前の傷跡がきれいになくなる傷になった

僕は自転車でこけて危険な乗り物だと知った ヘルメットは割れてしまっていた  被ってなければ多分死んでいた

自転車通勤はたまにしかしなくなった 理由のひとつは事故が怖くなったからだけど
駐車場を借りて始めた車通勤 いったん慣れるともうやめられないのだった
ビアンキカラーの愛車はガタがきていた そろそろ引退させることにした
さんざ迷ったあげくに選んだ新車は 色が決め手のビアンキだった
飲み会の日は自転車で通勤する 帰りは地下鉄とタクシーで午前様
次の日には車に積んで帰る 片道だけの自転車通勤だった
僕は自転車に乗ってこれまで生きてきた これからもきっと乗りつづけるだろう この歌は死ぬまで続くだろう

僕は自転車に乗ってこれまで生きてきた これからもきっと乗りつづけるだろう この歌はもっと長くなるだろう





 息子アツフミが自転車に乗れるようになった(バカ親日記2001.0.1参照)。ヒデフミも加え親子3人でサイクリングに行く夢がかなう日も近い。ママにも付き合って欲しいのだがきっと断られるだろう。妻とのサイクリングも憧れだったのですけどね。子供の頃、「キュリー夫人」の伝記を読んで、キュリー夫妻が週末には近郊にサイクリングする話(挿絵つき)に、とてもいいなあと思ったのでした。一応、11年前結婚してスグに色違い(ボクが緑で妻は赤)でママチャリを買いました。近所の買い物にしか使用されませんでしたが。
 最近はあまり乗ってないのは確かです。ときどきアツフミの保育園への送迎に電動アシスト自転車を使うくらい。ウチのまわりは坂ばかりなので必需品なのです。ただし買って4〜5年くらいだけどバッテリーが弱っててフル充電しても2〜3回乗ったら(保育園は歩いても5分くらいの近さなのに)ランプが点滅してしまうのでした。象徴的?
 現在、通勤にはその日飲み会があるときだけ使ってます。飲んだ後は決して乗りません。歌の詞にもあるようにボクは自転車でこけて入院までしています。そのときはシラフだったのですが、もし飲んでたら何を言われるやら。そういえばMTBに乗るときはヘルメットをかぶらないと怖いくらいになってます。ヘルメットと夜はライト。歩道を走るときは歩行者用信号が赤だったら必ず止まる、など心がけながら楽しく乗り続けようと思っています。

2005.10.14
歌詞を大幅に追加、修正、詳しくは「週刊わやソング」にて

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