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週刊わやソング
2005.10.16号
特集:自転車と僕と
ボクは自転車が好きで、
「緑色が好き♪」でも取り上げているので
自転車歴はそこでも見ていただけるのだけど、
歌にもそのものズバリの
『自転車とボクと』というのがあるのです。
1998.9.28に完成したこの曲は、
幼稚園児のころから、1997年に自転車でこけて入院するまでの
自転車にかかわるエピソードを綴った、
長いけど、聴き手にもある自転車の思い出をくすぐる佳作なのでした。
その後、マウンテンバイクを買い換えたり、
昔の話で落としているエピソードがあったり、
最後のこけて入院の顛末も詳しく書いてなかったりということがあって、
歌詞の追加と見直しが必要だなとずっと思っていたのでした。
で、今回それが完成したので公開することにします。
ただでさえ長く、8分23秒もかかっていたのですが、
どうやら15分近くかかる歌になってしまったようで・・・
せっかくだから、新旧を比較できるように載せたいと思います。
どのエピソードが加わったか、
どこの詩を見直したか、
それも面白いと思うのです。
赤い文字は追加した部分、
青い文字は修正した部分です。
追加・修正に伴って、位置がずれてる部分もありますが
そこは特に表示していません。
『自転車と僕と』
2005.10.14改版
始まりは幼稚園児の頃 最初に乗ったのは子供用自転車 しっかり補助輪が付いていた 走った記憶は遠くかすんでる
小学校1年生のとき サドルの取れた大人用を拾い 何度も転びながら練習して 三角乗りをマスターした
その後姉貴との共有ってことで ミニサイクルを買ってもらった 譲り合い使いなさいって言われたけど 奪い合って負けていた
僕は自転車を覚え自分の足にした 幼いなりに生きていた 育っていた
6年生になってどうしても 自分専用のが欲しくなった 新聞のチラシで安売りを見つけ20km離れた町で買って乗って帰った
学校対抗の自転車コンテストなぜか僕が代表に選ばれた 転校してきて馴染めてなかった僕を 先生が気遣ってくれたんだ
一本橋やクランクや手信号 実技の練習は楽しかった ずいぶん練習して挑んだ本番は雨が降って筆記試験だけで終わった
僕は自転車に乗って いろんな技を覚えた 勉強した交通ルールは 原付免許で役立った
中学は自転車通学禁止だった みんな実はこっそり乗って行ってた 先生に聞かれて正直に答えたら 僕だけしかられて悔しかった
高校は通学用の自転車で 毎日遅刻坂を登った 片想いの女の子を追い抜くときは 力いっぱい立ちこぎでダッシュした
隣の県でインターハイがあった 悪友とバスケの試合を観に行った 一泊二日の旅はトラブル続き パンクの修理が上手になった
僕は自転車に乗って遠くまで走った 広がった世界を見ていた 感じていた
大学は故郷を離れ海を渡り名古屋の街に一人暮しを始めた 新しい町を探検気分で走った ケッタマシーンという呼び方を覚えた
先輩にスクーターをもらったのでとりあえず原付免許を取った ギターケースをステップに載せて走った しばらくは自転車を忘れていた
暇に任せ一輪車を練習した 始めは全く乗れそうもなかった やっとコツをつかんだときは嬉しかった 自転車に乗れたときを思い出した
僕は自転車に乗ってどこにでも行けた 走りながら歌を歌った 口笛を吹いた
同郷のサークルの後輩から キャンピング用の自転車を買った 寝袋と着替えを積んで野宿旅 ふくらはぎまで日焼けした
四国への帰省も自転車を使った フェリーにも渡し舟にも乗せた 朝のラッシュ時の国道2号線 車に当てられ一瞬時が止まった
顔にケガをして実家に逆戻り 自転車はやめろと親に言われたけど 愛車は修理して甦り その後も旅を供にした
僕は自転車でさらに遠くまで走った 走りながら思いをめぐらせた 夢を見ていた
会社に就職して嫌だったのは朝の満員の地下鉄での通勤 一度自転車で行ったらやめられなくなった雨の日は例外だけど
まだそんなに 流行ってはなかった頃マウンテンバイクに乗り始めた 通勤にキャンプにツーリングにヘルメットは必ず被るようにした
お買い物用にママチャリも持っていた 何度か盗まれたりもした マウンテンバイクが盗まれたときは 悔しくてしばらく探しまわった
僕は自転車に乗って毎日生活していた 自転車に乗らない日はなかった 今よりずっと痩せていた
結婚したり住むところが変わったり子供ができたり勤め先を変わったり
乗っている自転車も変わったけど 変わらないのは緑色だってこと
2代目のマウンテンバイクも緑色 だけど買ったときは違う色だった
すぐに緑色に塗り替えた 世界にひとつだけの自転車になった
パーツを取り替えるタイミングで 何度か違う緑に塗りなおした
カタログを見て気にいった色を選んだ 色だけのビアンキもどきになってしまった
僕は自転車に乗ってレースに出たりもした 体力には自信があった 決して速くはなかったけど
どうして転んだのかはよく覚えていない 気がついたら地面にたたきつけられていた
帰宅途中の大きな交差点の手前 神に誓ってお酒は飲んでいなかった
学生時代の事故で怪我をした鼻の下 あのときはボクは交通事故の被害者だった
傷跡はケロイド状に残ってしまったけど 貰った慰謝料はとてもありがたかった
今回は仕事帰りだから労災になった なのでまた治療費は心配しなくてすんだ
なぜか前と同じところをケガした 前の傷跡がきれいになくなる傷になった
僕は自転車でこけて危険な乗り物だと知った ヘルメットは割れてしまっていた 被ってなければ多分死んでいた
自転車通勤はたまにしかしなくなった 理由のひとつは事故が怖くなったからだけど
駐車場を借りて始めた車通勤 いったん慣れるともうやめられないのだった
ビアンキカラーの愛車はガタがきていた そろそろ引退させることにした
さんざ迷ったあげくに選んだ新車は 色が決め手のビアンキだった
飲み会の日は自転車で通勤する 帰りは地下鉄とタクシーで午前様
次の日には車に積んで帰る 片道だけの自転車通勤だった
僕は自転車に乗ってこれまで生きてきた これからもきっと乗りつづけるだろう この歌は死ぬまで続くだろう
僕は自転車に乗ってこれまで生きてきた これからもきっと乗りつづけるだろう この歌はもっと長くなるだろう
なぜか、追加部分は言葉が長くなる傾向にあるようです。
では、初期バージョンもどうぞ。
『自転車と僕と』
1998.9.28初版
始まりは幼稚園児の頃 最初に乗ったのは子供用自転車
しっかり補助輪が付いていた 走った記憶は遠くかすんでる
小学校1年生のとき サドルの取れた大人用を拾い
何度も転びながら練習して 三角乗りをマスターした
その後姉貴との共有ってことで ミニサイクルを買ってもらった
譲り合い使いなさいって言われたけど 奪い合って負けていた
僕は自転車を覚え自分の足にした 幼いなりに生きていた 育っていた
6年生になってどうしても 自分専用のが欲しくなった
新聞のチラシで安売りを見つけ 20km離れた町で買って乗って帰った
中学は自転車通学禁止だったけど みんなこっそり乗って行ってた
先生に聞かれ正直に答えたら 僕だけこっぴどくしかられた
高校は通学用の自転車で 毎日遅刻坂を登った
悪友と徳島まで行ったりもして パンクの修理もうまくなった
僕は自転車に乗って遠くまで走った 広がった世界を見ていた感じていた
大学は故郷を離れ海を渡り 名古屋の街に一人暮しを始めた
新しい町を探検気分で走った ケッタマシーンという呼び方を覚えた
先輩にスクーターをもらったので とりあえず原付免許を取った
ギターを載せて走るには便利だった しばらくは自転車を忘れていた
同郷のサークルの後輩から キャンピング用の自転車を買った
寝袋と着替えを積んで野宿旅 真っ黒に日焼けした
僕は自転車でさらに遠くまで走った 走りながら思いをめぐらせた夢を見ていた
四国への帰省も自転車を使った フェリーにも渡し舟にも乗せた
朝のラッシュ時の国道2号線 車に当てられおなくなりになった
顔に怪我をして病院送りになった 自転車はやめろと親に言われたけど
愛車は修理してよみがえり その後も旅を供にした
会社に就職して嫌だったのは 朝の満員の地下鉄での通勤
一度自転車で行ってみたらやめられなくなった 雨の日は例外だけれど
僕は自転車に乗ってどこにでも行けた 走りながら歌を歌った口笛を吹いた
まだそんなに はやってはなかった頃 マウンテンバイクに乗り始めた
通勤にキャンプにツーリングに ヘルメットは必ず被るようにした
お買い物用にママチャリも持っていた 何度か盗まれたりもした
マウンテンバイクが盗まれたときは 悔しくてしばらく探しまわった
結婚したり住むところが変わったり 子供ができたり勤め先を変わったり
乗っている自転車も変わったけれど 色はあいかわらず緑だった
僕は自転車に乗ってこれまで何度もころんだ とうとう入院もした また顔に怪我をした
僕は自転車に乗ってこれまで生きてきた これからもきっと乗りつづけるだろう
この歌は死ぬまで続くだろう