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「父ちゃんが伝えてくれた」   2006.11  


小学校6年の社会の宿題だった
それはお家の人の戦争体験を聴いてくること
僕は父ちゃんに聴いて録音することにした
晩御飯のあと父ちゃんは静かに語り始めた

太平洋戦争のとき父ちゃんは軍国少年だった
お国のために何かしたいと考えていた
まだ軍隊に入れる歳にはなってなかったけど
一人家を飛び出し満州に渡ることにした

  あの時はそうするしかないと思っていた
  だけど今伝えたいことは一つ
  戦争やって ええことは 何も ないんやぞ

まだ手に入れたばかりのラジカセと
僕に向かって父ちゃんは淀みなく語り続けた
いつでも中断できるように僕はスイッチに手をかけてた
でも途中で止めることなく一気に語ったのだった

父ちゃんは満州で大人に交じって働いた
地平線まで見渡せる風景の話もしてくれた
悪くはない生活だといえるときもあった
でもそれはソ連の戦車がやってくるまでのことだった

  あの時は逃げ延びることしか考えていなかった
  だけど今こうして伝えられる
  戦争やって ええことは 何も ないんやぞ

先生は僕が持っていったテープを確認もせず
いきなり授業中にみんなに聴かせることにした
僕の名前を呼ぶところを友達にからかわれて
照れくさかったけどそれは初めのうちだけだった

シベリアに連れて行かれた父ちゃんたちは
厳しい寒さの中過酷な労働を強いられた
体の弱いもの順に仲間は次々と死んでいった
それは遺体を埋めるのに慣れてしまうくらいだった

  あの時は生きて帰れるとは思っていなかった
  だけど今こうして伝えられる
  戦争やって ええことは 何も ないんやぞ

テープの録音時間はたぶん10分くらいだった
小学生だからもちろん初めはざわざわしていた
だけどそのうちに教室は静まり返っていった
一度聴いてるはずの僕もまた聴き入っていた

3年間なんとか父ちゃんは生き残ることが出来た
一番若くて体力があったから助かったのだろう
だけど船で舞鶴に着いて高知の家まで帰り着いた
父ちゃんの身体はボロボロになっていた

  あの時はやがて子育てするとは思っていなかった
  だけど今こうして伝えられる
  戦争やって ええことは 何も ないんやぞ

  あの録音テープをなくしたことは悔やみきれないけど
  僕に今こうして伝わっている
  戦争やって ええことは 何も ないんやぞ
  何も ないんやぞ


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2005年12月に父が亡くなってもうすぐ一年。この歌を作ることもボクの宿題だったような気がします。


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