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週刊わやソング

2006.2.26号

特集:ある子猫の物語

2005.10.6 アラン・プーサンにて行われた「○得ライブ」を再現します。
このときは、その直前に実際にあった、
ある子猫との出会いから別れまでをテーマに選曲しました。
曲名をクリックして、是非、歌詞を読んでください。


我が家の近所には野良猫がたくさん住んでいて、
雨水溝の中に出入りするのをよく見ます。
きっと、その中で雨露をしのぎながら、
生ゴミを漁って生きているのだと思うのです。

ときどき我が家の庭を横切ったりするだけならいいんだけど、
ウッドデッキで日向ぼっこをしたり、
玄関先で丸まってたりしてるので、
もしかしたらウチで飼ってると思われてたりするのでは、と
心配になることもあるのでした。



数がそんなに増えるわけでもなく、居なくなるわけでもなく、
何年も数のバランスを維持しているのが不思議です。
猫ではなく鳥ですが、野生の動物たちはホント逞しいのだなと感動して作った歌を
まず、1曲目に歌います。

『しろあほうどり』を聴いてください。

子作り、子育ての神秘というか不思議というか、
動物から人間が学ぶことも多いと思うのです。

猫といえば、今回の子猫とは別のエピソードがかつてありました。
やはり野良猫だった「ニャンピー」は、今考えてもきっと妊娠していたメス猫だと思うのです。
もう5年以上も前の話になってしまいました。

2曲目は、『さすらいのニャンピー』を聴いてください。

猫の歌なのですが、この歌にはウチで飼ってるミニウサギも出てきます。
実際、ウサギさえ飼ってなければ、
ウチに来て飼って欲しそうにしている猫だったら、
飼ってもいいかなとも思ってたのです。
次男も猫を飼いたがっていて、それは従兄弟の家に何匹か猫が居て、
行く度に嬉しそうに抱っこしたりしてるのですが、
ウサが居るうちはダメだと言い聞かせているくらいなのでした。
でも、もう8歳になろうかというこのウサギ、
まだまだ長生きしそうなのです。

3曲目に、『ポクんちのウサギ』を聴いてください。

さて、やっと本題に入りますが、
ある夜、庭からか細い猫の鳴き声が聞こえてきました。
見てみると、ラベンダー(?)の茂みの向こうに
とても小さい子猫が震えていたのです。
まだ生まれたばかりのようでした。
保護してやりたい気持ちにはなりましたが、
ちょっとでも手を掛けるとその後見捨てるわけにも行かず、
飼うことになってしまうと思い、ただ様子をみることしか出来ませんでした。

翌日、そのか細い鳴き声がウッドデッキの下から聞こえてきました。
自分で移動したとは思えず、きっと親猫が運んできたのだと思いました。
次男は懐中電灯で照らして、「奥のほうに居る」、「とても小さい」、「かわいい」と言います。
親猫が世話をしてるのかどうかはわかりません。
ウッドデッキの下では手も出せず、
このままでは面倒なことになるなあと思っていました。

日曜の朝、庭先の隣の家の車庫に子猫が居るのに気付きました。
自力で移動できるとは思えない、また親猫が運んだのかなあと思いました。
その子猫は元気そうでした。
その後、バルコニーで洗濯物を干していたら
「あら、子猫、かわいい」といった声が聞こえてきました。
見ると、通りかかった女の人が子猫を抱いて隣の人と話しているのでした。
そして、その女の人は子猫を抱いたまま連れて行ったのです。
ああ、よかった、拾ってくれた人がいたよ、と、
ボクは家族に報告したのでした。

ところが、また庭の隅から、か細い鳴き声が聞こえてきたのです。
また、最初のラベンダー(?)の茂みにその子猫は居たのです。
あぁそうか、子猫は一匹だけではなくて、
一番弱ってる子がウチの庭に連れてこられて、
さっき拾われていった子猫は兄弟猫だったんだ、と気付きました。
その後、茶色い母猫(たぶん)が何度か姿を見せましたが、
子猫の世話をしている様子はありませんでした。
黒い父猫(たぶん)もうろうろしてましたがこちらには何も期待しませんでした。

猫と話したわけではありませんが、
「この子は一番小さくてとても育てられません。
 人間のところで育てていただけないでしょうか」
母猫がそう言っているように感じました。
さて、どうしたものか。

20年以上前に作った歌で、ズバリ『野良猫』という曲があります。
4曲目に歌います。

聴いてください。『野良猫』です。

雨の日、とうとう、震える真っ黒な子猫を抱き上げてタオルにくるみ、
ウッドデッキに連れてきてしまいました。
なんとかウサギと共生できないかと、対面させてみました。
ウサギは本能的にパニックになってしまったようでした。
部屋に入れるわけにはいかなくなりました。
牛乳を小皿に入れて口をつけてやりましたが、
飲む力は残っていないようでした。

2日か3日たった夜、
仕事から帰ったとき長男から「猫が死んであっちゃんがお墓を作ったよ」と聞きました。
庭に出てみると、はじめに子猫を見つけた辺りにそのお墓はありました。
次男が一生懸命に作ったお墓は土が固かったからか少し浅かったようで、
子猫は半分地上に出ていました。
ボクはスコップで穴を掘りなおし、しっかり埋めなおしてやりました。

自然は残酷ですね。
子猫にはまだ名前をつけていませんでした。
次男は意外と冷静で、
「生まれたときから弱くてお母さんのミルクを飲む競争にも負けてたんだ」
などと言っていました。
生まれてすぐ死ぬ猫はたくさんいるでしょう。
あの子猫は我が家で埋められて幸せだったと思いたいのでした。

野良猫が死んだからといってニュースにはなりません。
あと2曲歌いますが、まずはこれまた20年近く前の古い歌、

『本当に心配しなくてはいけないことはなんだろう』です。
聴いてください。

たとえ動物でも、長く一緒に居て家族のようになっているのが死んでしまうとショックです。
あまり考えたくはありませんが、
ウチのウサギが死んだら2〜3日仕事を休むかもしれないなどと思っています。
最後は明るく締めたいのですが、今日のテーマではそうもいきませんね。
妻の実家の飼い犬が死んだときに作った歌『フクタロウ』を歌います。
16年生きた犬の歌です。
ボクの実家の猫も同じくらい生きて2・3年前に死んでしまったのですが、
16年は人間にとっても長い時間だと思います。

今日はありがとうございました。

最後の歌です。聴いてください。

『フクタロウ』


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