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週刊わやソング

2004.5.22号

特集:新曲『ビワの木』


ちょうど今はビワの季節、
よその家の庭先に実が垂れていたり
スーパーにも並んでいますね。

そうたくさん食べるものではないけれど、
食べておかないと落ち着かない味なのです。

例によって実話で、長い思い出語りソングになりました。
通して歌うと10分50秒。
もしかして長時間ソング記録更新ですね。

(6/4歌詞を追加)
たぶん12分近くになったはず

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

「ビワの木」   2004.5    音源はいま少しお待ちください

息子たちが今日のデザートは何?と聞く
ビワを買ってあるよと言うと大喜び
今となっては決して安い果物ではない
でも季節感があるのがビワのいいところ
手を汚しながら皮をむき種を取り
奪い合うように息子は ビワを食べるのだ

残った種を植えてみた ちゃんと芽が出てきた
息子は毎日水をやり観察していた
プランターから庭の隅に一本移植した
冬を越えて大きな葉をつけている
息子たちが二人とも大人になる頃には
きっと実をつけるくらいになっているだろう

そういえば転校を繰り返した小学生の頃
ビワの種を植えて出た芽を友達にあげた
転校してもボクのことを忘れないでって
ボクがその町に住んだ記念樹のつもりだった
だけど友達からの最期の手紙に書いてあった
君にもらった記念樹は見事枯れました

大きくなるから大変だよと妻は心配する
そうか妻の実家にもビワの木があるのだった 
大きなビワの木といえば お袋の実家にもあった
子供の頃は登って遊んだこともあった
あの山の家のビワの木は今どうしているだろう
おばあちゃんが死んだあとは誰も住んでいないのだ

四国の愛媛で生まれ育ったお袋は
高知で生まれ育った親父と出会い結婚した
そして僕と姉貴は徳島で生まれた
お正月とお盆の帰省は毎年の大旅行だった
四国の反対側のおばあちゃんちまで車に揺られ揺られて
幼いボクには四国は島ではなく大陸だった

おばあちゃんの家の母屋は万屋になっていて
お年玉をもらった孫たちはそこで駄菓子を買った
おじいちゃんはずっと前に亡くなっていて
女手一つその店でお袋たちを育てたそうだ
女9人男3人の兄弟姉妹は
きっとビワの実をもいでおやつにしていたのだろう

厳しくて怖かったおばあちゃん
しつけがなっていないと叱られたこともあった
でも離れから母屋への石段で手を引いてあげたとき
体は小さくて弱いことに気付いた
ボクの手を握り返しずっとさすり続けていた
涙ぐみながら繰り返しやさしい子だと言ってくれた

老人病院に入っていたおばあちゃんに
結婚したばかりの妻と会いに行った
お袋からは呆けてきたと聞いていたけど
ボクの名前をしっかり呼んでくれた
ボクの嫁さんだと紹介すると子供のように喜んで
妻のお尻をさすりながらいい子が産めそうだと言った

おばあちゃんが死んだとの深夜の電話に
ボクは翌朝仕事を休んで電車に飛び乗った
車窓から眺める赤い彼岸花
なぜかビワの木のことを思い出していた
6時間近く電車と汽車に揺られて着いた里
誰かが早とちりしていた 生きているおばあちゃんに会えた

2度めの電話のときはもう覚悟はできていた
身重の妻を置いて飛行機で四国へ向かった
お葬式には久しぶりに顔を合わせる孫たちがいた
30人いるはずの孫はおばあちゃんの自慢だった
あれからもうずいぶんたってしまった そうだ今度の夏は
 おばあちゃんのお墓参りとビワの木を確かめに行こう

ウチの庭のビワの木はやがて大きくなるだろう
そして息子は大人になりボクと妻は老いていくだろう
いつかこの家も住む人が居なくなり
ビワの木だけが残ることもあるのだろうか
そんなことを考えながらビワの実をつまみに
もう一本ビールの栓を開けたのだった

そんなことを考えながらビワの実をつまみに
もう一本ビールの栓を開けたのだった



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

ビワの木に絡んだ思い出を歌にしようとして、
おばあちゃんの思い出の歌になりました。



この写真は歌詞にある我が家の庭のビワの木です。


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